人は不安な時や悲しい時、ひとりだと辛くなったり、その不安や悲しみの気持ちがなかなか癒されなかったりします。誰かに寄り添ってもらうと安心し、不安や悲しみが徐々に収まることはよくあります。辛い時、「それくらいのこと大丈夫だよ!」って誰かに言われると、よけいに辛くなったり情けない気持ちになったりします。痛みを訴えている時、「これくらい何てことないでしょう!」と言われると、痛みが増強するような気持にすらなります。これらは共感でも寄り添いでもありません。不安や悲しみや恐怖は、子どもでも大人でも年齢にかかわらず経験しますし、なんどき起こるか分かりません。大人は自分なりの解決方法を持っている人もいますが、子どもは誰かのそばで安心感を得ることが重要になってきます。
「愛着」という言葉をよく耳にすることと思います。愛着が湧く、愛着が深まるなど、愛情と同じように使われていますが、「愛着」は愛情とは別の概念です。一般用語としての愛着、つまり慣れ親しんだものに対して覚える離れがたさという意味とも異なります。
幼い子どもにとって世界は未知のことばかりです。初めての場所、見たことのない人が来た、知らない人から声をかけられた、周りに誰もいない、暗くなってきたなど、さまざまな不安や怖い場面で、子どもは泣いたり声を出したり自分から近づいたりして“特定の人(特別なだれか)”にくっつこうとします。“特定の人”から「怖かったね」「もう大丈夫だよ」と気持ちを受けとめてもらい慰められることで、安心・安全な感覚を得ます。そして子ども自身が「もう大丈夫」と思えれば “特定の人”から離れていけます。立ち直っていきます。子どもが自らくっつこうとする行動やその後の過程、そして立ち直りなどは、大人の対応の仕方や、その時の状況や程度、子どもの月齢や年齢、発達段階などでも変わってきます。
アタッチメント(愛着)のもともとの意味は「くっつく」こと。怖くなったり不安になったり、ネガティブな感情が生じたとき、“特定の人”にくっつきたいと願い、行動し、安心感を得ようとすること、これがアタッチメントです。
アタッチメントは、“特定の人”と結ぶ情緒的な(こころの)絆とも言われています。不安なとき、“特定の人”にくっついて安心しようとする傾向を指す言葉です。“特定の人”とは親とは限りませんし、愛着関係は親でなければ結べないものではありません。それでも、親が養育をしている場合は親が“特定の人”であってほしいものです。
生まれて間もない赤ちゃんが泣いた時、オムツかな、お腹が空いたのかな、寂しいのかな、抱っこかな、どうしたのかなと、子どものシグナルにすぐ向き合って対応します。 これがアタッチメント形成のスタートだと思っています。 子どもの健やかな成長発達全体を支える土台となるもの、それがアタッチメント(愛着)です。
次回は、アタッチメントの発達や3つの基地についてお話しします。